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2013.08.14 Wednesday  スポンサーサイト

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2013.03.24 Sunday  2013年春

ぼちぼち書いていきましょうか。放置しすぎた。

東京は桜が満開、今年は異様に早い。
今年の春は、今の職場で沢山の別れがあり、とても悲しい。
美術史の教養がない私を美術館という現場に採用してくれた副館長が退任することになった。
3月のとある夜、副館長室で2人で沢山の話をした。
今回の退任という決断は単に「退任」ということではなく、57歳にして新しい現場でチャレンジしようとしているということ、今ここで自分に出来ること、業界の未来を考えての決断、それらのことを踏まえ、この人に採用してもらったことに本当に感謝の気持ちでいっぱいになったと同時に、自分はまだ何にも恩返し出来ていないという気持ちになった。
でも恩返しは、私が一人前になって活躍することだと思う。

このような素晴らしい大人たちと一緒に仕事することが出来、そして皆が私の人生に多大な影響を与えてくれている。
今の職場の人たちから学ぶことは多い。

そこで私は決断しようと思う。
もう春になってしまったワケだが、今年の秋を標準に大学院に行こうと思う。
とりあえず行くのではなく、きちんと論文を書き、今後の自分にプラスになるべく仕事と両立しようと思う。
仕事との両立なので相当の気合いが必要となるワケだが、「美術」に関する知識・教養のベースを大学で学んでいない(個人で勉強しているにしても)ことがずっと私がこの業界で働いている上でのコンプレックス以外何ものでもなかった。

宣言してしまった以上、中途半端なことは出来ない。
仕事との両立ということで、物理的な可能な学校ということになる。
遊ぶ時間は今よりなくなると思うけれども、それでもいいかなと。
人生一回きりだし。

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2012.10.07 Sunday  石巻へ

 

あれから1年半が経ったいま、この目で確かめておこうと、東北の津波の被災地へ。

写真は石巻沿岸のがれきが積んである場所。
写真からは伝わりにくいけど、がれきからは異臭がたちこめる。
火災が起きないようにガス抜きの処置が施されている。
人が常に監視し、爆発や火災が起きたときに対処出来るように、昼夜問わず交代で監視している。

このがれきをどう処理するか?
東北以外の地方自治体の一部は、がれきの受け入れを拒否している。
これが無くならない限りは、石巻沿岸の開発は進められないという現状。
まさに八方ふさがり。

あれから1年半が過ぎ、東京もいつもの日常、満員の通勤電車に忙しい毎日。
東北の明るいニュースも飛び込んでくる一方、実際は復興は思った以上に進んでいない。
お昼ご飯に入った中華料理店で、自民の代表選の候補者討論会の様子が映っていた。
「東北の復興」というワードがいっさい出てこず、なんだかガックリきた。

沿岸部からほど近いところに、数件、こぎれいな住宅が並んでいた。
近寄ってみたら愕然とした。
人は住んでいない。
窓ガラスは割れ、風で電灯が空しく揺れている。
家の壁や柵はぐちゃぐちゃだ。
人がいると思った住宅は、あの日のまま、手つかずに時が止まっていた。
家主は今どうしているか、分からない。
壁が崩れ露になったキッチンにザルが置いてあったが、その光景がリアルすぎて頭から離れない。

自分には何が出来るだろうか?
改めて考えた1年半。

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2012.06.03 Sunday  突破する



広報でこんなものを作りました。
今度の展覧会を予習するためのもの。

誌面では安藤忠雄氏に登場いただきました。
すごく良い文章に仕上がっています。
久しぶりにグッと心を突き動かされるような言葉に出会いました。

なぜ今の若い人は新しいことに挑戦しようとしない?
なぜ人と違うことを恐れる?
未来を作るのは自分たちなのだから、
情熱を持って挑め、と。
私の稚拙な言葉で簡単に説明するとかんなかんじ。

館内でしか配布していません。
限定1万部の貴重なものです。
読んでみたい人は連絡ください。

表紙は展覧会資料から、イメージは「突破する」。
こんな時代だからこそ、少しの突破してみる勇気。

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2012.05.13 Sunday  4年ぶりくらいの別府

約4年ぶりくらいの大分・別府。

大学3年の後半からソウルのマンモスインテリ大学にいって、
自分がいた学校がいかに小さい領域だったのか、
学問とはそんなにたやすいものじゃないとか、
一言でいってしまうと、今までこれが全て、これで良しと思っていたことが小さく見えたというか。

1年が経って別府の学校に戻ったときに、あれだけ好きだった学校生活も4年の後期だということもあって
学生生活残り半年を過ごした別府での生活では「もうここはホームではない」といつも感じていた。
自分の中で、1年経って確かに何かが変わっていた。
でもそれはとても自分にとってポジティブなことだと私は思っていた。
私の中で、別府での生活や思い出はソウルにいく時の21歳になる直前で終わっていたのだ。

だから、卒業した後も母校や土地に特に愛着もなく、行く用事がなければもういくこともないな、と。

先月、なっちゃんの結婚式で久しぶりに別府に行った。
一部の駅とか道とか綺麗になっていて、お店とかも増えてて、学校が出来て、おそらくこの街は変わったんだと思う。
明らかに経済が動いている。

空港バスから見る景色は何も変わらない。
でも、友達と遊んだ海岸とか、通学路とか、皆でよくいった飲食店とか、
ドライブした道とか、走馬灯のように、昨日のことのようによみがえった。
不思議、あんだけ「もうホームじゃない」と思ったのに。
一瞬で記憶がよみがえった。まるで昨日までいたかのように。

その記憶は確かに私の血となり、骨となっている。
良くも悪くも、体に染み付いている。
それもこれも、巡り巡って、今の私がいるんだと、そう思った。

今でも思う、東京の大学にいっていれば良かった、と。
学問は片手間で出来るような、たやすいものではない。
もうちょっと学問を極めてみたかった、と。
でも今の私がいるのは、きっとココにいたからだと思う。

当たり前のことだけど、そんなことを痛感したのでした。
いつかこの小さな学校に、自分なりに恩返しをして、自分が当時出来なかったことを、
当たり前のように出来るようにしてあげたいなと思った。
ちょっとは貢献出来るように、今は修行中です。
私が仲間といた場所は、厳しくも優しい愛を注ぐ価値のある場所でした。

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2012.04.08 Sunday  pumpkin



運営側だと、ついつい自分用の記録を忘れてしまう。
終わる前にパチリと撮った一枚。
こちらも無事に終わりました。

この前あっちゃんと話していて「仕事をしていて一番グッとくる瞬間は?」と聞かれた。
いろいろ考えたけど、
「一人のプロとして、“これはどうしたらいいか?”と頼られる瞬間」
というのが私の答えだ。
こんな私でも、組織の中では広報の専門家として、必要とされている瞬間に幸せだと感じる。

大きな組織にいると、戦う気力をたまになくしてしまいそうになる。
その組織の一番上が国だと余計そう思う。
それではダメだと、相方が私を小突く。
誰でも、自分のことはさておき人のことはよく分かる。
でもそんな意識の高い相方がいてくれて、本当にありがたいなと思う今日この頃。

大学を卒業して、4年が過ぎた。
4年前は今こうしている自分を、実は想像していた気がする。
「こんな仕事をしているだろう」とは違うけれども、「こんな自分でいたい」とか「こうありたい、ということを確かに考えていた。
もっともっと先を想像しながら、憧れながら。
忙しいや、環境の変化を理由に考えることが減ってしまっているけど、そういう意識は忘れずに持たなければと、気持ち新たに思う今春。

今は面白い制作物に取組んでいます。
もうこんな豪華なキャスティングないかも。
建築家の方とお仕事するのは初めて。

世の中をあっと言わせたい、その一心で取組んでいます。

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